占い徒然草#008

実は停滞期?私が「占い業界」を見続けて思うこと

時代の流れと占い業界。

私が占いと関わって35年以上経ちました。
今回は私が体感した占い業界の変化についてお伝えしたいと思います。
35年前、当時のマスメディアといえば、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌(書籍)がほぼすべてでした。
その中でも特にテレビの影響力が絶大に大きかった時代です。
インターネットはまだメディアとしては黎明期にありました。
1995年に発売されたWindows95がインターネットの普及に大きく貢献したとはいえ、ただでさえ回線を使えば使うほど通信料金も信じられないほど高くなる時代に、カタツムリのように通信速度の遅いインターネットは、メディアとしての役割を果たすにはあまりにも貧弱でした。
そんなテレビ全盛期といえる時代において、占いをメインに扱うような番組や占い師が中心メンバーとして出演するような番組は長らくありませんでした。
占いを扱うテレビ番組といってもせいぜい、占い関係の特番がまれに企画されるか、レギュラー番組でのある回での特集で企画されるかといった程度で、占いがテレビ番組のひとつのジャンルとして確立されるには程遠い状況でした。
ただ、そのようにジャンルとしてはまだ中心にはなりきれない占いでしたが、それでも占いの企画じたいはマスメディアにおいて賑わった時代であり、私もテレビ・ラジオには数多く出演させていただきました。
いま思えば20世紀末の当時、1999年に世界が終焉するというノストラダムスの大予言を本当に信た人も多くおられましたので、マスメディア全体に占い企画が多かったのかもしれません。

21世紀を迎えた占い業界。

結局世界が終焉することもなく21世紀を迎えると、新時代ではブログを皮切りに動画プラットフォームやSNSなどのインフラが整い、既存のメディアに頼ることなく自分から情報発信ができるようになりました。 占い師さんにとっては活躍できる環境が多様化してきたわけですから、その点に限ればいい時代になったと言えるでしょう。
ただし、時代の変化はすべての面で占い師にとっていいことづくめだったかというと、そうとも限りません。
占い師にとっていまは、自分の言葉に責任を持たされる時代といえるかもしれないのです。
インターネットが普及しきったいま、占い師が過去に導き出した鑑定結果も簡単に検索が可能な、そんな時代になったからです。
もちろんインターネットが台頭するより前の時代であっても、いろんな記録媒体がありました。
ですが、その主なものといえばまずは紙媒体(メモやノート)や磁気テープ(音楽にはカセットテープ、映像にはビデオテープ)、フィルムなど、アナログなものばかりです。
アナログ媒体ですから、記録することはできてもその媒体自体に検索を容易にするための仕組みはほぼありません。
仮にカセットテープやノートを使った記録で普段から検索を容易にしようとするならば、内容を一覧に書き出しておくとか目的別の棚に収納するなど、目的の記録をすぐに探し出すための環境を個々人が構築しなければいけない時代だったのです。
仕事でもない限り、そのようなことを個人ができるはずもありません。
デジタルの記録媒体としてはフロッピーディスク(FD)というものが数10年ものあいだ使われていましたが、大容量タイプのディスクですらデジカメの写真1枚を記録するのがやっと、というレベルでした。
よって占い師の発言や鑑定結果に話を戻しますと、インターネット普及前夜の時代においては、特別な事情がないかぎり個人が時間をかけて過去の鑑定結果を調べたりすることなどありえないことだったのです。
何か事件があった場合に犯人が過去にインタビューを受けていたりすると、過去の膨大なビデオテープから犯人のインタビューを探し出すようなことは、ずっと以前からありました。
それには莫大な時間がかかりますが、それは探すことも仕事だったからこそ可能だったにすぎず、個人が趣味の範囲でできることではありません。
しかし今やあらゆるデータがデジタルの形で、サイバー空間に勝手に蓄積されていく時代です。
特になにも記録してこなかった個人がその気になってネットを検索すれば、一瞬であらゆる過去の言動が見つかってしまう、占い師にとっては容赦のない時代になったともいえるのです。

占い業界の先駆者であり巨人、現る。

まだテレビの影響力が絶大に強かった21世紀の初頭、ある占い師さんがメインの出演者として番組を受け持つ、いわゆる冠番組をスタートさせたことに衝撃を受けたことを今でも覚えています。
その占い師さんこそが細木数子さんでした。
私の記憶では、細木数子さんにとって運命の転換期だったのは1985年でした。
細木さんは独自の研究で編み出された「六星占術」を携え、それまでもテレビには他の占い師さん達と横並びで出演されていたと思います。
が、1985年のテレビ番組で「阪神タイガースの優勝」と「同じ年の8月に飛行機事故が起こる」ことを予言されたのです。
鑑定結果は的中していることは、多くの皆さんがご存知でしょう。
阪神タイガースは1985年、セ・リーグ優勝と38年ぶり(2リーグ制になって初)の日本一に輝きました。そして同年8月、あってはならない日航ジャンボ機墜落事故がありました。
その未来予測の的中により「六星占術」の本がベストセラーになりましたし、それ以後も毎年、その年の運勢を六星占術で占った各星人の本はベストセラーの常連になりました。
細木数子さんの功績は占い師とっては凄いことです。
占い師が頑張るとこれだけの夢を叶えられるという、いわば「占い師ドリーム」を世間に示したわけです。
細木さんはその後、ほかにもたくさんの冠番組を持たれただけでなく、ゲストとしても数多くの人気番組にて出演されました。
そのムーブメントはひとりの占い師がブレイクしたというよりも、「細木数子」という抜群のタレント性を持った芸能人が誕生したことを意味するのだと受け取りました(ちなみに私は江原啓之さんの方のファンです)。

私が楽しみに待つ、占い業界の今後。

以上をふまえて、長年占い業界を見てきて感じることをお伝えしますと、私が占いに関わって35年以上経った今でも、占い業界はある意味全く変化していません。
その理由は、占い師として大成功を収めた「細木数子さんのサクセスストーリー」を今も意識し続けている占い師さんが多いと考えているためです。
全体的な傾向として、多くの占い師さんが唯一無二の成功事例である「占い師 細木数子」の手法を無意識に現在も追い求めているような気がしてなりません。
六星占術のようなオリジナル占術を編み出して世間の評判を勝ち取ること、それこそが大成の秘訣だと信じているのではないでしょうか。
自分でデータを取ったり研究を深めたりして、本当に「無」から独自の手法を編み出された占い師さんも一部にはいらっしゃいます。
が、誤解を恐れずに言うと、「オリジナル」を謳う多くの占い師さんは、昔から存在する手法を多少アレンジしたことをもって、それを「オリジナル」と呼んではいないでしょうか。
私は常々、細木数子さんの成功事例とは違った発想で占い業界に新しい風を送り込む占い師さんが出現しないかと期待しております。
それは「未来予測という占いの長所」を最大限活用して鑑定依頼者さんたちを幸せにする「何か」です。
例えるなら2005年に出現したYouTubeのようなものでしょうか。
テレビが全盛の時代に発足した動画共有プラットフォームが、多くの一般人に「発信する力」を与えて現在の繁栄をもたらしたように、右肩上がりに鑑定依頼者さん達を幸せにして成長する、そんな新しい姿に占い業界が変わるのを楽しみにしています。
まだ私がみるかぎりでは、そのような「何か」は現れていません。
その意味ではこの35年の占い業界を俯瞰すると、細木数子さんの成功以降ずっと進歩のない状態が続いているように受け取っています。
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